2014年8月4日 のアーカイブ

大神風です。

2014年8月4日 月曜日
大神風です。

先場所はなんとか4勝3敗で勝ち越せました。
しかし最後の相撲も負けてしまい、4勝には満足していません。
来場所は幕下に戻りますが、自分の課題を克服して
秋場所に挑めるように頑張ります。

さて、今回は高田川部屋の関取衆2人目。小結・前乃臻 康夫です。


前乃臻は昭和36年4月17日、福岡県嘉穂郡筑穂町大分に生まれます。

両親と姉との4人家族。
いつも姉の後ろにくっついて遊んでいたおとなしい少年でした。

中学では野球部ながら相撲大会に駆り出され活躍。
相撲部に入部して県大会優勝、九州大会5位と活躍します。

その噂を聞き、大関・前乃山の高田川親方がスカウトに現れ、
52年3月に高田川部屋に入門。独立して3年の新興部屋の期待の星で、
厳しく指導されます。

52年5月、前の海の四股名で序ノ口、56年7月に本名の沢辺に戻して
翌9月に「競争相手を倒し、人の先頭に立つ」という意味で前乃臻と改名。

59年1月に新十両昇進。高田川部屋にとっても待望の初関取となります。
右四つ左上手の本格的な四つ相撲を磨き、60年11月には24歳で新入幕。
何度か幕内と十両を往復しましたが、62年7月に東前頭8枚目で
11勝4敗の好成績で翌9月に自己最高位となる小結に昇進しました。

新小結の場所は綱取りの大関・大乃国を倒す星が光りましたが、
4勝11敗と負け越し。

その後は勝ち越すことも出来ずに、63年7月十両に陥落。
11月には心機一転で前乃森(読みは同じ、まえのしん)と改名しますが、
一進一退を繰り返し平成2年3月、ついに幕下に陥落したため
28歳で現役を引退。年寄・山響を襲名しました。

相撲教習所の指導などを務めましたが、
平成9年1月に日本相撲協会を退職しました。

次回は小結・剣晃について書きます。

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