大神風の高田川代々「安芸乃島編~後編~」

大神風です。

今回は高田川代々の4回目、現師匠の関脇・安芸乃島の
九代目・高田川親方についての後編です。

入幕以来、活躍を続けていた安芸乃島ですが
怪我との戦いも続きました。

1993年三月場所では右上腕二頭筋部分断裂の大怪我。
手術をし、右肩には痛々しい傷口を残しながらも見事に復活。
その後も腹筋、足首、大腿筋など大怪我を何度も繰り返しますが
「怪我は自分が成長するチャンス」と考え、
その度に必ず復活します。

1994年九月から1995年三月の4場所間で二桁勝ち星を続け
合計43勝17敗。1999年一月、三月と続けて11勝するなど
大関獲りのチャンスがありますが、ことごとく失敗。
大関の夢は叶いませんでした。

1999年九月場所、2回目の優勝のチャンスが巡ってきます。
12勝2敗で横綱・武蔵丸と並んでトップで千秋楽を迎えます。
千秋楽の相手は武蔵丸の援護射撃に燃える武双山。
立合いで得意の左四つに組みとめますが、
土俵際のうっちゃりを警戒して出し投げ。
この出し投げで相手を呼び込み、寄り切りで敗れ、
またしても優勝はなりませんでした。
「なんで不用意な出し投げにいったんだ」と
この時の相撲は今でも夢に見るそうです。

「十両に落ちたら引退」と常々公言しており、
前頭15枚目で迎えた2003年五月場所十四日目、
岩木山戦で敗れて負け越し。十両陥落が決定的となり、
現役を引退。

三賞受賞回数、金星獲得回数、史上1位。
その他にも多くの記録を残しての引退でした。

引退後は年寄・藤島を襲名。その後、年寄・千田川を襲名して
2004年に高田川部屋に移籍。

移籍した日は僕の相撲教習所の卒業式でした。
卒業式から帰ってきた僕は先代師匠に千田川親方の付き人を命じられ、
以来ずっと現在の師匠に付いています。
ちなみに僕が兵庫から上京した日は安芸乃島の断髪式の日。
今思えば何かと縁がありました。

現役中の師匠、大関・貴ノ花の二子山親方と
親方になってからの師匠、先代・高田川親方と
「俺には二人の師匠がいる。二人に指導して頂いて、俺は幸せ者だ」
とよく言っており、二人の教えを守って、
引退から現在でも廻しをしめて稽古場に降り、熱血指導をしています。

協会職では巡業部、執行部から現在は審判部として
本場所の土俵を見つめています。

ここまで八代目の前乃山、九代目の安芸乃島と
高田川親方を紹介しました。
高田川を襲名した二人の共通点は相撲においても、
協会職においても、とにかく熱血で一生懸命な所だと思います。

果たして、次の十代目・高田川を襲名するのは誰なのでしょうか。

これで高田川代々は終了します。お付き合いありがとうございました。

次回からも何かしら相撲の事を書きたいと思います。
もしよければリクエスト下さい。

まだまだ勉強中の大神風でした。

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コメント / トラックバック4件

  1. とん太 より:

    (*^ー^)ノ♪。わかりましたよ。 親方の事よくわかりました。何を調べて欲しいかは、まだこちらもわからない。私は、先代親方に言われた乃は、力士のマスコットの母としてみまつてほしいと言われたです。

  2. せんせー より:

    たいへん面白い連載でした! 九代目親方のコメントも伺いたいところですね^^

  3. 二村 明 より:

    すごく面白く、読まさせていただきました。
    次回も、楽しみに待っております。

  4. めぐ より:

    またまた遅ればせながら読ませていただきました。ありがとうございます!
    いつも審判席の高田川親方(勝手ながら妹と私は“安芸ちゃん♪”と呼ばせていただいてます)のお姿も楽しみに拝見しております(⌒‐⌒)
    うちに、巡業の際に床好さんにお願いして、高田川親方(当時の安芸ノ島関)に書いて頂いた色紙がありますよ!
    「無心」と。♪
    今でも、ずっと花道で、ひたすら摺り足を繰り返していらした安芸関、素敵でした!現在も廻しを締めて土俵に降りて稽古つけていらっしゃる高田川親方、素敵です!
    みなさまが、怪我なく、稽古・巡業・本場所を過ごされますよう祈ってます。

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