大神風です。

今場所は幕下に復帰できましが、
4連敗のスタートで早々に負け越しが決まってしまいました。
体調も良く、怪我もないので自分の弱さが出た結果です。
なんとか最小限に抑えて来場所に繋げたいと思います。

今回は二所一門の流れ、二所ノ関部屋編です。

まず、昭和中期頃から二所一門はあまりに大きな勢力となり、
部屋の所在地から「両国系」と「阿佐ヶ谷系」に二分されます。
今回はこの「両国系」についてです。

前回の説明通り、大関・佐賀ノ花の8代二所ノ関部屋からは
多くの関取が誕生し、分家独立していきます。
十勝岩の湊川部屋、琴錦の佐渡ヶ嶽部屋、玉乃海の片男波部屋、
そして後に「阿佐ヶ谷系」となる大ノ海の花籠部屋です。

佐渡ヶ嶽、片男波は後に説明するとして、
8代二所ノ関は横綱・大鵬、大関・大麒麟、
関脇・金剛など多くの名力士を育てます。
この8代目の死去に伴い、大鵬や大麒麟の間で後継者争いが勃発。
一旦は十勝岩の湊川親方が9代目を継承し、
結局は8代目の娘婿となった金剛が10代目を継承します。

金剛の10代目は8代目の弟子から関脇・鳳凰、麒麟児、
小結・大徹、直弟子からは小結・大善を育てます。
しかし平成24年に10代目が脳梗塞で倒れ部屋の経営が困難になり、
25年に二所ノ関部屋は閉鎖となります。

平成26年に若嶋津の松ヶ根部屋が名跡を変更し
二所ノ関部屋となり、一門の総裁の部屋が復活しました。

8代目の二所ノ関からは大鵬と大麒麟の押尾川が独立。

一代年寄の大鵬部屋からは関脇・巨砲、前頭・嗣子鵬、
十両・大竜などが育ちます。
平成16年には娘婿の関脇・貴闘力が部屋を継承し、
大嶽部屋と名称を変更します。
後に貴闘力は不祥事で解雇となり、
大竜が大嶽を襲名し現在は貴乃花一門に属しています。

大麒麟の押尾川は独立時に9代目二所ノ関と揉めに揉め、
寺院に籠城する騒動に発展。押尾川希望の16人の力士の内、
前頭の青葉城含む5人のみ移籍させるという条件で独立が許されます。
この時移籍を希望しながら認められなかった前頭・天龍は翌年に引退。
プロレスラー天龍源一郎として活躍しています。

押尾川部屋からは関脇・青葉城、益荒雄、前頭・恵那櫻、
騏ノ嵐など13人もの関取を一代で育てます。

平成17年に部屋を閉鎖し、尾車部屋に吸収合併して現在に至ります。

この押尾川部屋からは関脇・益荒雄が独立し、阿武松部屋を創設。
この間に押尾川と益荒雄が揉め、阿武松は一旦大鵬部屋に移籍し、独立しています。

阿武松部屋からは小結・若荒雄などが育ち、
現在は大嶽部屋同様に貴乃花一門に属しています。

このように本家の二所ノ関部屋、そこからの分家である
佐渡ヶ嶽、片男波、大鵬(大嶽)、押尾川の各部屋から
二所一門の「両国系」が成り立っていた訳です。

次回は「阿佐ヶ谷系」、「花籠一門」と呼ばれ
隆盛を誇った花籠部屋について説明します。

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コメント / トラックバック1件

  1. 千波 より:

    手書きのチャート図は大神風さん作成でしょうか?
    新連載も興味深く読ませて頂いてます。

    来場所に繋がるいい相撲が取れますように!
    応援しています。